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ミミさん、ありがとう☆

12/2の夜遅くに、清音に着いた。

空には満天の星。
空気が張りつめる秋冬は、
殊更、星が降ってくるように感じる。


なぜか、一睡もできず
朝を迎えた。

朝6時過ぎに、階下に降りて
マッサージチェアーに身を委ねた。

毛布を頭からかぶっていたら
「誰でぇ、ここにおるんは?」
…と祖母の声。

隣の椅子に腰かけた祖母と
手をつないだ。

華奢なその手は、ひんやりとしていた。


   ☆☆☆


祖父のお墓参りをした後、
伯備線に乗って、岡山へ。


12/3…

きょうは、シンフォニーホールで
『木原光知子さんを送る会』
が執り行われる。

一般からのお見送りを
皆で呼びかけていたので、
シンフォニーには大勢の方が
集まっていらした。


   ☆☆☆


山陽学園の先生方にもお会いした。

ミミさんは、山陽学園(私の母校でもある)で
講演会を行われる予定だった日に、
旅だっていかれた。


   ☆☆☆


来賓席に案内される。

シンフォニーホールのステージには
輝くばかりのミミさんの大きなお写真が
飾られてあった。

カリフォルニアオレンジ…というようなイメージが
沸くほどの、美しいオレンジ色の洋服と
ストールを巻いた、ミミさんの
太陽みたいな笑顔。

色とりどりのブルーと白の花たちが
ミミさんの「笑顔」を包んでいた。

この花は、恐らく、
波・水しぶき・イルカ…を
表現されたものだろう。

ミミさんにピッタリだ。


   ☆☆☆


真ん前に座って、ミミさんの笑顔を
ぼんやり見つめていたら、
私のすぐ傍に、ご両親が
座っていらっしゃることに気付いた。

『パリ祭』事務所のKさんに紹介していただいたので、
毎年の『パリ祭』時の
「祭り寿司」の差し入れのお礼を
お母さまにお伝えした。

お母さまは、毎年、手づくりの
祭り寿司をメンバー全員に
差し入れてくださっていたの。

祭り寿司…とは、岡山の名物バラ寿司のこと。
出演者は皆、お母さまのこのお寿司が
大好きだった。


そして、このお寿司は、
ミミさんの御自慢だった。


「頑張ってくださいよぅ」
と、小柄なお母さまが、
しっかりとしたお声で仰った。


私は、「ありがとうございます」の他は、
気の利いた言葉は
何もかけられなかった。


   ☆☆☆


岡山の「顔」になっている方たちが
次々に、お別れの言葉を述べられた。
ミミさんが、岡山にとって
どれほどの「太陽」だったかが
よく伝わってくるメッセージばかりだった。

逢沢一郎さんが、
「ミミさん。
私は今、パリ祭の会場で貴女の前に
立っていますよ。」
と、まず最初に仰った時、
涙が、後から後から溢れてきた。

ミミさんが
岡山弁でユーモアたっぷりに進められる
あったかい司会は、『パリ祭』(岡山)の
名物でもあった。

今にも、舞台袖から
ミミさんが、颯爽と歩いていらっしゃいそうな気がしてならない。


   ☆☆☆


遺影の前には、ミミさんがお亡くなりになられた後に
贈られた、勲四等旭日小授賞の勲章と
皇后様からの白い菊の花が
飾られていた。


ミミさんの子供の頃からの活躍ぶりが
スクリーンに映し出される。

なんと、可憐で美しい少女だったのだろう。
ひたむきな瞳は、子供の頃からずっと
変わらなかったんだな…。


    ☆☆☆


山陽学園の学園歌を、会場にいた
現役高校生(音楽科)たちが歌い始めた。

前奏が流れた瞬間に
条件反射で、私も立ち上がってしまっていた。
涙で、とても「歌手」の歌にはならなかったけれど、
精一杯、歌わせていただいた。

山陽学園の学園歌は、
本当に美しい。

他にも、学園の「追悼歌」が流れたけれど、
改めて、山陽には美しい歌がたくさんあると
思った。

初めて学園歌を聴いた方たちが
感激なさっていた。


   ☆☆☆


やがて、『パリ祭』の映像が
スクリーンに流れ始めた。


ミミさんの大好きだった
「哀しみのソレアード」。

ミミさんが歌い終わった時、
会場からは拍手がわき起こった。


これは、ミミさんにとって
「ありがとう」の歌だった、と
後で人に聞いた。


   ☆☆☆


毎年、岡山の『パリ祭』は、満席までに
あと一歩届かず、ミミさんは他の会場での『パリ祭』の
打ち上げ時に、必ず
「あみちゃん、岡山が負けとるで。いけんなぁ。
何とか一緒に頑張ろうで!」
と悔しそうに、仰っていた。


今年の『パリ祭』…
始まって以来、初めて、
岡山の会場が満席になった☆

「やったなぁ〜!
あみちゃん、ありがとうよぅ〜〜〜!!
よう頑張ってくれたなぁ〜。」
と、ニッコニコのミミさんと
抱き合った。


   ☆☆☆


献花をしている間中ずっと、
ミミさんの「哀しみのソレアード」が
流れ続ける。

献花を終えた私の元に、
山陽新聞の記者さんが訪ねていらした。

「あみさん、今、献花をなさっていましたね。
どんなことを、木原さんにお話なさっていたのですか?」
と質問を受けた。

『パリ祭』がんばっていきます!…と
誓いの気持ちをお伝えしました、とお話したら

「木原さんは何て仰ってましたか?」
と、記者さん。


「当たり前じゃぁ!がんばらんとおえんで!」
と、ミミさんは仰ってました…と、答えた。


そう…ミミさんは、いつも
「あみちゃん、がんばらんとおえんで!」
と、力強く声をかけてくださっていたもの。


   ☆☆☆


「来年の岡山のパリ祭は、どうなるん?」
…何人もの方に聞かれた。


   もちろん、あります!


やっとこさ今年、満席になったんじゃもの。
ミミさんが頑張ってがんばってこられて、
その気持ちが皆に伝わって、
皆の気持ちが動いて、
ミミさんと一緒に、皆で頑張ってきたんじゃもの。


終わる訳がない。

終わらせる訳には、いかんで、絶対に。


そねーなことしたら、
ミミさんに叱られてしまわぁ。


岡山で『パリ祭』をするんは、
ミミさんの夢のひとつじゃった。

その夢が、ミミさんの頑張りで
16年前に叶った。

ミミさんの夢に、皆で乗っからせてもろーて、
今度は皆で「満席」を夢見た。

その夢が、16年目にして叶った。


   ☆☆☆


岡山で『パリ祭』を知らん人がおらんぐれーに
がんばらんとおえん。

「シャンソンて、なんかええが!」
と、若い人たちも思ってくれるように
私も、もっとがんばっていかんとおえん。

ミミさんは、皆の心の中におってくれる。
一人一人の心の中におってくれるミミさん
(ミミさん…やっぱり忙しいな…ごめんなさい)と一緒に
これからの『パリ祭』を
夢見ていきたいと、
今、強く強く思っとる。


   ☆☆☆


ミミさんが、スポーツを通して岡山に
勇気をくださったように、
『パリ祭』を、ひとつのきっかけにして
岡山に、もっともっと、音楽が溢れるよう、
ひとつの使命じゃと思って、
がんばっていこうと決心した昨日じゃった。

私が、音楽を通して「勇気」をもらってきたように。


   ☆☆☆


会の後、S本さん、藤野さんたち数名と一緒に、
ミミさんがお好きだった
「やまと」のラーメンを食べに行った。

ビールで献杯して、
ミミさんへの「ありがとう」の気持ちを
話し合った。


   ☆☆☆


ミミさん、本当にありがとうございました。

ミミさんからのメッセージを
しっかり胸に刻みました!

イルカと泳ぎながら、
ひとまずのんびりしょーてください。

「おちおち、泳ぎょーられんわ」と
叱られんように、
ミミさんのような太陽になれるよう、
がんばっていこうと思よーります☆☆☆

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2007年12月04日 12:11に投稿されたエントリーのページです。

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